東京学芸大学附属
竹早中学校同窓会 サイトマップへサイトマップ
 母校から

学校長挨拶 -伝統を噛みしめて-

(フレッシュアップコミュニケーション23年版より転載)
副校長 荒井 正剛

 この度の大震災の際、本校では建物に被害はありませんでしたが、夜十時段階で167名の生徒が教室で泊まりました。「想定外」のこともいろいろ起きましたが、それを見事に克服したのが、教職員一丸となっての臨機応変の対応と、生徒と教職員の信頼関係でした。西原口副校長は、出張先の大学から、自転車を買って学校に駆けつけました。フジモリパン屋さんはパンをたくさん提供してくださいました。おにぎりをたくさん差し入れてくださった保護者もいらっしゃいました。
 神戸で被災された先生方が、「全ての場合を想定した機能的なマニュアルは不可能」で、防災マニュアルよりも、ふだんからの生徒と教職員の信頼関係こそ防災対策である、また、「災害に強い学校」とは「子どもたちが主人公として大切にされ」「自分の持ち味を発揮できる学校」、「民主主義と自主性が尊重される職場のなかで教職員がいきいきと働ける学校」であると話していらっしゃいます。
 これらは本校が大切にしてきた「竹早スピリット」で、このたいへんな局面を無事乗り越えられたのは,その伝統だと思います。
 また、本校にそういう雰囲気があるので、卒業生がよく来校するのだと思います。教師としてとても嬉しいことです。もっとも、話が弾んで、つい時間が経つのを忘れ、仕事が後回しになってしまうこともありますが…。
 私は新入生に、中学校時代の友達は将来にわたって気軽に話せる親友になることが多いと話してきました。それは自分自身の経験からで、私の母校では、ワールドカップの年に同窓会を開き、皆、中学生気分に戻って話が盛り上がり、帰りはいつも終電です。皆様も同窓会総会にいらして、竹早での思い出で大いに盛り上がって頂きたいと存じます。
 そんなすばらしい竹早を益々発展させることに貢献できますよう、副校長として、これまでの御恩返しのつもりで、励んで参りたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。



学校長挨拶 -伝統を噛みしめて-

(フレッシュアップコミュニケーション23年版より転載)
学校長 渡辺 雅之

 この度4月1日付で学校長として着任 いたしました渡辺雅之と申します。同窓 会会員の皆様におかれましては何かと母 校のためにご尽力いただいておりますこと に心からの感謝と御礼、そして敬意を表 するものでございます。そして、今後とも どうぞよろしくお願い申し上げます。

 さて、小職着任前の3月 11 日に起こり ました「東日本大震災」で被災されまし た方々、また、原発事故により避難を余 儀なくされました方々に、一刻も早い復興 と以前の生活が取り戻されますよう心か ら祈念申し上げます。これほどの大惨事 に至るとは、東京に暮らす身としましては、 想像力の欠如を身につまされているところ であります。自分にできることを考え、日々 実践し続けることを課し、少しでもお役 に立ちたい、と思っています。

 小職は、高校生の時に教職への道を選 び、それは自身が果たせなかったインター ハイ出場を教師として達成すべく、卓球 の科学的な指導を旗印に練習し、学ぶ大 学生・大学院生活の後に訪れる教職生活 を夢見ておりました。しかし、想像以上に 卓球の成績が上がらず、それがためにス ポーツ科学にのめり込んだことが今日まで の大学での教員・研究生活を継続させる ことになりました。この間、アトランタオ リンピックまで卓球の代表選手のコーチ、 「障害者スポーツ」との出会い、健康づく りのための安全な運動・栄養・生活の指 導と研究、ウルトラマラソン(100q走、 24 時間走等)の実践と大会主催、海外ス ポーツ交流、味の素スタジアムにおける「難 病と取り組む仲間とともに 響け!1万 人の鼓動 ウォーク&ランフェスタ」開催 と実に多くの経験をさせていただいて参り ました。スポーツに関われたことが何より の幸福でして、これには感謝する言葉す ら見つからないほどであります。

 そんな人間がこの竹早中学校に関われ ることは、これまでを顧みて、これからの 道のりに、感謝という台車に夢や希望を 載せて歩むことなんだ、と実感しています。 教職員の皆様から多くの力をいただきな がら、本校が目指す高い山に向けて歩を 進めて参ります。



学校長挨拶 -伝統を噛みしめて-

(フレッシュアップコミュニケーション22年版より転載)
学校長 山崎謙介

 本校も新しい年度が始まり、第 64 期の 入学生を迎えた。第2次大戦終了後の昭 和 22 年に始まる学制改革により六・三制 が制定され、新制中学の発足に伴い本校 の前身である東京第一師範学校女子部附 属中学校および東京第二師範学校女子部 附属中学校として出発し、ともにこの文 京区に設立されている。昭和 24 年には国 立学校設立法施行令により、それぞれ東 京学芸大学東京第一師範学校竹早附属中 学校および東京学芸大学東京第二師範学 校追分附属中学校と改称され、さらに昭 和 26 年には、それぞれが“……師範学校” の名が消えていく。昭和 29 年には二つの 学校が竹早地区に統合され、名前が東京 学芸大学附属「新設」中学校となる。現 在の東京学芸大学附属竹早中学校に改称 されるのは昭和 35 年のことである。創立 10 年目、 20 年目などの節目にはそれなり の行事があったろうが、いま手元にある 記録の類は創立 40 周年、50 周年、 60 周年 での記念誌のみである。そこにはそれぞ れの期生による竹早中学への想いが語ら れ、本校が如何に卒業生により愛されて いるかが窺える。過日、第1期生の方が お見えになり、同期の友人が次々と他界 していくにつれ、存命の方々が本校の卒 業式、入学式に列席し、現在の生徒と心 を分かち合いたい旨の心情を語られたと いうのを聞くにおよび、学校およびそこ に学びあう人々の社会をさらに磨きをか けなければならないと心に決めたところ である。



竹早中における「主体性」の育成

(フレッシュアップコミュニケーション21年版より転載)
学校長 山崎謙介

 表題にあります栞は過日、本同窓会副会長の田中元次さま( 同窓2期生)が本校にいらした折に届けてくださったものです。本校初代校長職にあられた鹿沼景揚先生による御著書『「奇跡」の教育』(1983年、日本教文社刊)の一部を抜き出したものですが、草創期のご苦労や輝かしさも垣間見え大変参考になりました。鹿沼先生は実は私が学芸大学に赴任した昭和48年には地学教室の教授として大学や教室の運営などで活躍しておられた上司でした。その意味で私とは奇縁もいうべき関係といえます。栞によれば、鹿沼先生が校長職を勤められたのは30代であったとのこと、現在の感覚では信じられないほどの若さです。先生は若いときからある信仰をお持ちになり、その教えに従い生徒や教員の皆さんに接しておられたようです。人間はすべて神の子?という考えから、先生は生徒や教員を信じ、また愛しておられました。もちろん中学生というのは思春期を迎える難しい時期ですから、その行動もヤンチャなことばかりであり、そのことは当時も今も変わることはありません。いくつかのトラブルをめぐるいきさつが記されていますが、いつも生徒を信じ、また愛する気持ちで接しておられ、ことを解決していく様の記述は感動的ですらあります。私にとって、これからの経営の指針にしたいと思っております。
  おわりになりますが、昨年度から本年度にかけて、本校において人事の異動が少なからずありましたのでご報告申し上げます。まず退任の先生ですが永年本校の教育に従事され大きな貢献をされた国語科の川崎正夫先生が退任されました。また、数学科の田中義久、井部利亮先生がそれぞれ附属世田谷小学校、都立東高等学校に転出されました。替わりに新しく赴任された先生方は数学科では鈴木 裕、小野田啓子、小岩 大の3人の先生方、国語科の堀内 泰先生、理科の鈴木一成先生になります。また国語科の森 顕子先生が交流人事で附属小金井中学校に出向になり、先方から石井健介先生が来られました。




竹早中における「主体性」の育成

(フレッシュアップコミュニケーション18年版より転載)
副校長 池田 正雄

自分からやるべきことを見つけようとはせずで、ただ指示を待って、言われたことだけをする人という意味合いの「指示待ち族」という言葉が流行ってだいぶ経ちますが、先日新聞を読んでいますと『「主体性に自信」の大学生は3割 求人企業と大きなズレ』という見出しに目が止まりました。これは4月16日付けの朝日新聞で、読まれた方も多いとは思いますが、記事の内容は次のようなものでした。

―『就職活動中の大学生で「主体性」に自信がある学生は3割弱にとどまる一方、8割以上の企業は「主体性」を求め、採用企業と学生の意識に大きな隔たりがあることが経済産業省の調査でわかった。同省は、こうしたずれがニート急増の一因とみて、今後、大学や企業と共同で教育手法の改善に取り組む考えだ。―(中略)―「主体性」や「実行力」など12項目で、企業には新入社員に求める資質を、学生には自信がある資質を選んでもらった。質問文では、「主体性」の場合、「自らやるべきことを見つけて積極的に取り組む」と定義した。その結果、「主体性」に自信のある学生は28%で、12項目の中で下から3番目。一方、「主体性」を求める企業は84%と最も多かった。「実行力」も企業の81%が求めたが、自信がある学生は35%、「課題発見力」も企業の79%に対し、学生は39%と差が目だった。』―

「主体性」「自主性」などは性格や個人差もあると思いますが、社会生活を営んでいく上で大切な資質であり、子どもの頃から育てていきたい資質の一つと考えられます。本校の教育目標の一つに「自ら求め、考え、表現し、実践できる生徒を育てる」がありますが、これはまさに「主体性」の育成をねらったものであり、21世紀の国際社会を担っていく子どもたちにぜひ身につけてもらいたい資質であります。

本校ではあらゆる教育活動を通し「主体性」の育成をめざしていますが、特に、力を入れているものに自由研究、卒業研究があります。授業で培った基礎・基本を土台に自らの研究課題に取り組むことは、学習意欲の向上につながるばかりでなく、「主体性」の育成にもつながるものと考えるからです。また、運動会、文研、校外学習などの行事では、担当教員の指導のもと、生徒が企画・運営の多くの部分を主体性を発揮しながら積極的に取り組む姿が見られます。

この記事を読んで、一般的には最近の若者に「主体性」の低下傾向が見られるかも知れませんが、竹早中で学んだ子どもたちには「主体性」が育っていると確信しております。

最後になりましたが、昨年度の総合的な学習の時間に、特別講師として同窓生の井上真也氏( 36期)、森万見子氏( 44期)より、働くことの意義や職業選択についてご講演をいただきましたことをここにご報告するとともに、両氏に厚く御礼申し上げます。

同窓生の皆様、これからも母校竹早中学校に暖かいご支援、ご声援をいただければ有り難いと存じます。




平成十七年度を振り返って(フレッシュアップコミュニケーション18年版より転載)

学校長 下條 隆嗣

今春、一六七名の生徒が元気に本校を巣立ち、そして代わりに一六八名の新入生を迎えました。本校は平成十九年度に六十周年を迎えますが、その伝統を保持しつつ、一方で時代に適応すべく少しずつ返信しております。

平成十七年度は、大きな事故や地震もなく比較的平穏な一年であったといえます。文化研究発表会における合唱コンクールや自由研究・卒業研究の掲示も従来通り継続されております。また、平成十七年度は国立大学の法人化二年目でありましたが、法人化以降、附属学校の点検・評価が明確に位置づけられ、その存在や活動に対する説明責任も以前よりも強く求められるようになりました。

一方、法人化以降、東京学芸大学では国から大学への運営費交付金の減少に伴い、今後数年間に五十、六十名の教職員の削減を余儀なくされる模様であり、教育研究組織の再編の動きも始まりました。この動きに関連して、本校も遠くない将来により基本的な面での何らかの変動を経験することが危惧されるところです。こうした状況下で、本校は存在意義を世に訴えるためにも、一層、教育力を高め、教育研究を推進する覚悟であります。

平成十七年度においては、ここ竹早地区にある附属竹早幼稚園・小・中学校が過去三年間以上取り組んできました「主体性を育む幼・小・中連携の教育」についての研究発表会を幼・小・中共同で十一月に開催し、盛会の内に終了いたしました。本校では同名の表題の「研究集録」を発行しました。この研究は今後も継続して参ります。

平成十七年度末から十八年度始めにかけて、例年のごとく、教員の移動等がありました。個人情報保護の観点から個人名の記述は控えさせて頂きますが、本校に永年勤務された英語担当のI教諭が本学附属高等学校(世田谷)へ、また数学担当のY教諭が本学附属世田谷中学校へ移動し、保健体育担当のI教諭が一身上の都合により退職されました。また新たに英語担当のS教諭、国語担当のT教諭、保健体育担当のY教諭、数学担当のI教諭が本校に赴任致しました。人事交流で他校に一年間出向されていた美術科のA教諭も、K教諭と交代で本校に戻りました。非常勤講師の方々や事務職員についても移動がありました。また本校の理科担当のS教諭は、東京学芸大学連合学校教育学研究科(博士課程)から、本年三月、めでたく教育学博士号を授与されました。

本校では、帰国生徒を毎年定員十五名の枠で受け入れ、一般生徒との混合教育を実施してきましたが、平成十七年度は本校における帰国生徒の受け入れ開始から三十年目でありました。この間、帰国生徒を取り巻く環境は大きな変容を見せましたが、本校の帰国生徒教育も徐々にその変容に対応して参りました(本校「研究紀要」第44号)。その他、平成十七年度には、入学試験における「抽選」の廃止と「面接」試験の導入、特別教育三教室へのエアコン設置などがありました。

ときどき、同級生の皆様より、ご挨拶状などを賜りまして感激致します。この紙面をお借りして御礼申し上げます。

次の日本をつくる新しい教育のあり方を、教職員一同真剣に求めて参ります。今後ともこれまでと変わりませぬ御協力をお願い申し上げます。




ソツ啄同時 (フレッシュアップコミュニケーション17年版より転載)

新海 宣彦

1974年春に沈丁花の甘酸っぱい香りただよう校門をくぐって以来、31年間竹早中学校に勤めさせていただきました。長くもあり、あっという間のようでもあります。終業式の日に2年生のUさんが「私の母が、先生が竹中に来た時のことを覚えていました。」と語っていました。親子二代のおつきあいと思うと随分長居をしたなとも感じます。個性豊かな先生方がつくりだす自由で融通無碍な空気が竹中の魅力でした。

先生方もさることながら、出会った生徒たちが魅力的でした。解剖実験後のカエルを「食べよう」と差し出す女性と、「我々のやり方が気にくわないなら殴ってくれ」と頬を差し出すバスケット部員、「苦界浄土」を読んで、単身水俣に飛びこみ取材をし自由研究をまとめた中1のOさん、夏休みを全てかけ綾瀬川の汚濁調査をし聞き取りをまとめたK君、母の難病を治した”幻の薬”「発光」を探索したKさん、シイやドングリの粉で作ったクッキーを持ち込み「物つくりクラブ」を創設し「人間クラブ」と命名したTさん、群馬の農家にのりこみ五年もののコンニャク芋を熱意でもらいうけてきたMさん、旧校舎の七不思議を探索し竹中の歴史を発表した1Aのみんな・・・等々、自主性と知的好奇心を旺盛に発揮し自らを輝かせていた生徒たちは、まさに枚挙にいとまがありません。こうした生徒のすばらしさをもとに、1987念、憲法と教育基本法に根ざして真理と平和を愛し、「自ら求め考え表現し実践できる生徒になろう」という教育目標が定式化されました。

閑話休題。禅宗では「ソツ啄同時」という言葉が使われます。「ソツ」は、鶏卵が孵化しようとするとき雛が殻を中からつつくこと、「啄」は母鶏がそれに応じて外から嘴で殻をつつくことを意味しています。それが同時とは、機を得て学ぶ人と師との両者の心が統合することを喩えているそうです。竹中は、この「ソツ啄同時」があふれる学び舎であったと思います。尤も、私は「附属生なんだから」と「ソツ」も聞こえないうちに、嘴でつついて生徒を傷つけることも多かったですが・・・。今、子育てばかりでなく、あらゆる企業でも相手の求める声を聞き分け、尊重して行動することが大切になっているように思います。




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